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巻高の創立から現在までを年表と写真で振り返ります。
中学校
▼
女学校
高等学校
西暦
元号
年
月
日
--- 沿革史 ---
◆郡立実科高等女学校
1912
大正
元年
2
14
西蒲原郡会において実科高等女学校の設立を可決する。
1913
大正
2
2
14
新潟県西蒲原郡立実科高等女学校の創立認可される。
4
8
奥田教佶初代校長となる。
4
12
巻小学校校舎の一部を借用して開校する。
修業年限四年。募集人員一学級五十名であったが入学者は四十二名、職員は七名であった。
以後この日を創立記念日と定め、記念式典を行う。
正門
白樺に囲まれた校舎
10
教育勅語を受ける。
1914
大正
3
4
5
校舎新築工事を着工する。
8
新校舎竣工する。
9
5
新校舎に移転し、授業を始める。
新校舎は教室三つ、裁縫室一つ、体操場、校長室、教務室等であった。
10
校旗を制定し、樹立式を行う。
11
15
開校式を挙行し、記念展覧会を開催する。
来校者一万五千人にのぼる。
1915
大正
4
10
作法室および割烹教室の建設工事竣工する。
11
大正天皇のお写真をうける。
1916
大正
5
12
29
初代校長奥田教佶死去する。
1917
大正
6
2
8
伊藤祐第二代校長となる。
3
22
第一回卒業式
を挙行する。卒業者二十八名。
7
20
森孫三郎第三代校長となる。
9
1
寄宿舎建設工事竣工する。
この年初めて按摩講習会を開く。以後毎年のように開き、受講者に修業証書を与える。
1918
大正
7
10
18
第一回大運動会
1919
大正
8
4
1
生花、茶の湯を課外として加設する。
4
裁縫室、割烹教室、屋内運動場、奉安所、寄宿舎建設工事竣工する。
←第3回卒業生
1920
大正
9
5
1
校地345坪を増加する。
10
第三回運動会を開催する。
巻町より楽隊を呼び、観衆二千余を集めて盛況であった。
◆郡立巻高等女学校
1921
大正
10
3
18
実科高等女学校を高等女学校と組織変更し認可される。
4
1
新潟県西蒲原郡立巻高等女学校と改称される。
10
理科教室、同準備室、割烹教室、音楽教室、小使室等の建設工事竣工する。
1922
大正
11
3
西蒲原郡立巻高等女学校の卒業式を挙行する。
実科高等女学校の卒業生を加えて第六回卒業生まで百八十八名に達する。
◆県立巻高等女学校
1922
大正
11
4
1
新潟県立巻高等女学校と改称する。
園芸科を加設する。
←校旗
4
15
第三代校長森孫三郎死去する。
5
25
村山 吉第四代校長となる。
7
24
生徒服和服を洋服に改める。
黒色八分セーラー型で、袖口とポケットに赤線三本、ネクタイの色で学年を区別したが、後に黒色に統一した。夏は襟なし半袖でネクタイを用いなかった。
1923
大正
12
4
1
英語を一、二年生の必修、三、四年生の随意科目とする。
従来三年生以上の随意科目であった。
4
12
創立十周年記念式を挙行する。
4
13
記念音楽会を開催する。
4
在校生父兄の寄付により記念文庫を開設する。
1924
大正
13
10
22
四年生京阪地方へ修学旅行を行う。
修学旅行は創立当初から行われていたが、この年以後行先が関西方面となり毎年行われるようになる。
12
20
事務室増築工事落成する。
この年屋内体操場を新築する。従来の体操場を普通教室とする。
←新築当時の体操場
1925
大正
14
3
31
長谷川政治第五代校長となる。
7
臨海聚落を角田浜に開く。
この年は日帰りであったが、翌年越前浜で宿泊し、以後年中行事となる。
11
はじめてジャケットの着用を許可する。茶、黒、白、鼠色の無地物で襟なしに限る。
12
8
坂井忠太郎第六代校長となる。
1926
昭和
元年
2
22
後援会発足する。
10
17
割烹室内の改造工事竣工する。
1927
昭和
2
4
生徒制服を改正する。白襟カバー長袖カフス付きセーラー型で、右胸ポケットにえんじ線三本、黒ネクタイをつける。夏は半袖セーラー型変わり襟でネクタイをつける。
9
弓道場を改築し、道場開きを行う。従来のものは大正十年に巻町内藤秀三郎より寄贈されたものである。
1928
昭和
3
4
11
寄宿舎給水工事竣工する。
8
職員玄関の正面にあった正門を西方に移転する。
創立当初は職員玄関よりもさらに東方、旧体操場前に正門があったが、大正十三年に職員玄関正門に移されていた。
9
27
巻銀行寄贈の御真影奉安庫完成する。
10
8
今上天皇、皇后のお写真をうける。
12
12
倉庫落成する。
1929
昭和
4
4
1
伊藤勉治第七代校長となる。
体育授業・ベニスのゴンドラ(昭和4年)
正門(昭和7年)
新年宴会余興(昭和7年)
下校風景(マント姿)(昭和7年)
1933
昭和
8
3
31
古川鉄平第八代校長となる。
10
12
創立二十周年記念式を挙行する。
記念音楽会、展覧会、運動会等を開催する。
創立20周年記念運動会
創立20周年記念音楽会
寄宿舎前でのスキー練習
理科実験
1934
昭和
9
12
22
皇太子誕生記念御真影奉安殿建設工事竣工する。
←奉安殿
運動会
第18回卒業生
1935
昭和
10
4
1
専攻科を開設する。
修業年限一カ年で、卒業生のうちさらに裁縫、家事、生花、茶の湯等について熟達を希望するものを就学させる。
1936
昭和
11
9
校旗を制定する。
雛祭
第1回専攻科卒業記念
←入学式
1937
昭和
12
3
25
校地六百六十七坪を増加する。
3
31
服部越第九代校長となる。
10
20
二階建て四教室増築工事竣工する。
校地校舎完成の域に達する。校地五千二百三十八坪、校舎七百十四坪、寄宿舎二百六十坪である。
1939
昭和
14
5
22
紀元二六〇〇年記念国旗掲揚塔完成する。
12
防空業務書を制定して、防護団を編成し、防空演習を行う。
1940
昭和
15
このころより勤労作業増加する。
この年の作業計画は、夏期、冬期休暇中に約十日間作業日をもうけ、他は放課後等を利用し、学校の実習田、飼育場等で作業することにする。
1941
昭和
16
5
学徒報国団を結成する。
この年の報国団の勤労作業は軍人遺家族五百九戸に家事手伝いに延七百名、農村共同保育所へ保母助手として延百二十名派遣する。
1942
昭和
17
4
13
堀部健一第十代校長となる。
9
学徒報国団の団則および諸規定を制定する。
この年農繁期にしばしば共同炊事、保育手伝いに附近町村へ出動する。
1943
昭和
18
1
21
一週間にわたり毎日一時間耐寒訓練を行う。
4
学校報国隊を結成する。
太平洋戦争激化に伴い、修学旅行を廃止する。
勤労作業ますます増加する。作業内容は農繁期の保育助手、共同炊事手伝い、開墾作業、応集家族への勤労奉仕等である。
10
10
創立三十周年記念式を挙行する。
1944
昭和
19
3
31
勝田寛第十一代校長となる。
8
22
四年生新潟鉄工所へ通年動員される。
10
三年生吉田防具会社へ通年動員される。
11
三年生島本鉄鋼所内野工場へ通年動員される。
1945
昭和
20
4
1
学級増となり、第一学年百五十名募集する。
4
三年生日東紡績株式会社内野工場へ通年動員される。
7
学徒義勇隊を結成する。
8
15
敗戦となり、動員中の職員、生徒学校に復帰する。
12
12
翌年一月三十一日まで臨時休校する。
学力低下を防ぐため、宿題を課し、徒歩通学者には本校で、その他は吉田、地蔵堂、弥彦、曽根、内野、燕各国民学校で出張指導を行う。
1946
昭和
21
3
15
久保田隆円第十二代校長となる。
1947
昭和
22
4
1
学制改革に伴い併設中学校をおく。
10
9
新制高校実施の準備のための基礎調査を実施する。
調査報告の中で、家政科を併置した普通科の女子高等学校が望ましいが、地域の現況を考えれば商業科併設が妥当と報告した。
◆県立巻女子高等学校
1948
昭和
23
4
1
学制改革に伴い、
新潟県立巻女子高等学校と改称する。
定員四百五十名、校地五千二百三十八坪、校舎延べ坪九百七十四坪。
旧巻高等女学校第十二代校長久保田隆円初代校長となる。
6
7
定時制課程を設置し、開校する。
定員昼間部、夜間部あわせて二百名、修業年限四年。
8
新聞「杉むら」を創刊する。
11
1
校舎内電灯配線設備完成する。
1949
昭和
24
3
31
併設中学校を廃止する。
9
30
佐藤登第二代校長となる。
1950
昭和
25
3
31
新潟県立巻女子高等学校を廃止する。
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